2015年02月24日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第8回

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第8回 高橋翔(右)・高橋昂平(左)
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2月24日 担当:高橋翔 取材相手:藤井宏治さん『決して怠惰な第3者になってはいけない~救命という使命と現実』

◆トーク1
自己紹介の後からラジオ音源の放送を行います。
本日、放送を担当する山中ゼミ所属の高橋翔です。
まずインタビュー対象者である藤井宏治さんは、震災当時京都日赤病院に設けられている救護班第1班班長を務めていた人物です。
最初に藤井さんに当時の出動までの流れを伺いました。
そして当時の状況に触れながら、待機時の心境の話に触れていきます。
藤井さん含む救護班の当初の派遣内容は重症者を連れて帰るという目的でした。
先生は、自分に対する不甲斐なさを感じつつも、感謝の言葉で救助の重要性を感じました。
阪神淡路大震災発生時、日本の災害医療は未熟なものでした。
発生時におきた様々な災害医療体制の不備が、問題点を浮き彫りにしました。

◆トーク2
先生は救護活動で無力さを痛感した場面があったそうです。
それは、救出された被災者の方が目の前で手の施しようもないまま亡くなったことでした。
現場に赴いた藤井さんに「復興」とは何か伺いました。
現在の災害医療は、阪神淡路大震災から大きく4つの柱を軸に整備されました。
藤井さんは今でも個人レベルで行える習慣を大事にしているそうです。
最後に、自分のインタビューを通じて感じた思いについてまとめて放送は終了です。
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2月24日 担当:高橋昂平 取材相手:門田成延さん「人は自然の前では微力だ」

◆トーク1
ンタビュー対象者である門田成延さんの被災体験をベースに、震災を経て、震災や災害についての意識の変化を取り上げました。その変化による門田さんのボランティア活動(2009年 豪雨で被害が集中した佐用町での活動、2011年 東日本大震災)の内容、活動を通じて感じたことをトーク1には集約されています。

◆トーク2
門田さんがボランティア活動をするようになったキッカケが話されています。また、阪神淡路大震災や東日本大震災での被災やボランティアでの経験を経て、感じる思いを話してくださりました。自然に対する人間の無力さを痛感しました。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 16:00| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

2015年02月17日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第7回

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第7回2/17 新貝壮駿(左)樋口力也(右)
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担当:新貝壮駿 取材相手:大城ロクサナさん「マイノリティへの情報提供を組織する」

◆トーク1
今回取材させて頂いたのは、ペルー出身の外国人の方です。
日本に来て間もなく、阪神淡路大震災を経験して、日本語のわからない事が原因で味わった困難な経験を語って下さいました。その言葉からは、情報を受け取れることがどんなに幸せなことか、また、誰もが理解できる情報を発信することの重要性を感じ取ることができます。言語の違いによって生まれる情報格差、その差を少なくするため彼女は現在、ラジオDJとして日本に暮らす外国人に向けて情報発信をしています。
自分の苦しい体験を、他の人に味あわせたくない。その気持ちから彼女は現在の活動を行っています。そんな彼女から出る言葉は何か力強さを感じる事が出来ました。

◆トーク2
この放送では、そんな彼女へのインタビューを通して、阪神淡路大震災によって起こった神戸の変化。その復興において、大切なことについてまとめました。
震災以降、多くの外国人が暮らしている事を理解した神戸の街は外国人の方に向けての対応がより手厚くなったと語ってくれました。しかし、日本にはまだ、言語の差によって情報を十分に受け取ることができない方がたくさんいます。本当の復興とは、建物や経済の回復だけではない。日常生活の中で、いつ発生するか分からない災害に備える事です。それは、地域の人々の交流、災害に対しての情報を受け取り、意識を高めていくことです。目に見えない活動や意識の中に大切な事が隠されていると感じました
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担当:樋口力也 取材相手:増田匡さん「街とコミュニティ ~人と人とのつながりの大切さ」 

◆トーク1
増田さんの紹介、職業について放送しています。増田さんが震災当時どのような状況であったか、そして震災後どのような活動を行ったかを中心に説明しています。増田さんは公務員として住宅の供給という一つの仕事を任され、その仕事をしている祭、感じたこと、しておくべきだった事について放送しております。その仕事を震災直後から急激に必要とされ、できるだけ早く高齢者の方に安心した暮らしを提供できるようにするため、数年間とても過酷な日々もあったとおっしゃっていました。
増田さんは大量に住宅を供給したために、集合住宅の中の高齢者の方が一斉にお亡くなりになってしまった事をとても後悔しておられました。そのような問題をどのように解決していくべきだったかを中心に語ってくれました。あらゆる世代をミックスすることで、いろんな世代の方とコミュニケーションをとることができ、震災で壊れてしまったコミュニティを回復させることが理想であるとおっしゃっていました。

◆トーク2
後半では、増田さんにとって、コミュニティがいかに大切であるかについて語っています。一度壊れてしまったコミュニティを元通りにすることは、とても困難であり、それは今後、長田市内での大きな一つの課題であると、おっしゃっていました。そして震災を若い世代に伝えていくのがとても重要であること、少しでも多くの人に震災を知ってもらいたいと強く語っておられました。そして、私達、若い世代にメッセージを残してくれました。実際に被災地へ行くことが大切であること、震災の事を片時も忘れてはいけないという事を教えていただきました。
増田さん自身は今後、震災復興活動を行っていく際、人と人とのつながり念頭において活動していく事を決意しておられました。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 18:23| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第6回

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2/10 第6回 担当:郝貝易 取材相手:蔡勝昌さん 「震災前後の被災地を比較し、これからの道を見つめよう」

◆トーク1
≪日本語≫
皆さん、こんにちは。私は関西学院大学総合政策学部メディア情報学科山中ゼミの留学生、郝貝易です。あと1週間は旧暦の正月ですから、皆さん、あけましておめでとうございます。
1995年1月17日午前5時46分、大きな地震が発生しました。この阪神淡路大震災は6434人の命を奪われ、43000以上の人が怪我をしたという大きな被害を持たれました。震災後には、町を再建し、町の復興を目指して、人々が努力をしてきました。今年は阪神淡路大震災から20年の時点で、被災地の復興ができたのか。私は阪神淡路大震災を経験した蔡勝昌さんにインタビューをしました。蔡さんは町の復興について、たくさんの経験や考え方を深く述べました。蔡さんは現在一般社団法人、中華会館の理事長ですが、震災の時には、彼は留学生学校の先生でした。それでは、まず震災直後の状況から聞きましょう。

蔡さん:私の家は山の近くのところでしたが、家から下に見ると、たくさんの部屋が倒れました。でも、こんなに大きな被害と思わなかった。学校に行く途中で、もっと町の被害の様子を見て、そして学校にはたくさんの市民たちが避難のために集ってきた。そのときには、被害の大きさが認識しました。留学生を含めて、中国人は合計48人が亡くなりました。たくさんの留学生が木造のアパートに住んでいたが、地震のときにアパートが倒れ、命を失った。

蔡さんの話を聞いて、地震の怖さを感じました。町の再建にはたくさんの困難があり、復興するのも簡単にできることではありません。蔡さんは震災前後の町の変化について、復興の道の現状と挑戦を述べました。

蔡さん:震災前のときの水準に戻るのが、復興とは言えるのでしょうかね。このような考え方で判断すると、全体的に見ると、復興とはいえると思います。しかし、各地域の状況を見ると、復興とは言えないかも知れない。神戸市には、各地域が違い、特に長田区には、復興の程度が一番遅れると思います。たとえば、東灘区には、震災のときにもたくさんの家が倒れたが、今高層マンションがいっぱい建てて、人口も増えた。震災の前より、人口が多い。人口が増えたら、経済もよくなった。そして、東灘区には工場が少なく、ほとんど住宅地でした。しかし、長田区のほうが違い、昔はゴム工場がいっぱいあったが、震災後には工場が少なくなり、生産力も落ちた。生産力だけでなく、人口が少なくなり、商店街も少なくなった。

≪中国語≫
大家中午好,我是关西学院大学综合政策学部山中速人教授研究组的留学生,我的名字叫郝贝易。再过几天就是新春佳节了,我在这里给大家拜个早年,祝大家在新的一年里身体健康,万事如意。
1995年1月17日凌晨5点46分,一场突如其来的灾难发生了。这场夺去了6434人生命,使43000余人受伤的大地震被命名为了阪神淡路大地震。灾难过后,首要的任务便是安置与重建,而后便是复兴。到今年为止,灾难已经过去了整整20个年头,复兴之路究竟进行得如何呢?为此,我有幸采访了经历了阪神大地震的蔡胜昌先生。围绕复兴这个主题,蔡先生讲出了很多独特的个人见解,很值得我们思考。蔡先生现在是一般社团法人中华会馆的理事长,地震发生之时,他在一所华侨学校就任教师。先来听他介绍一下地震之后的情况吧。

蔡:我家是在靠山上的地方,从我家往下看,有许多的房子歪了。刚开始并没有感觉到灾害有这么严重。但是在去学校的路上就看到了灾情,到了学校后看到操场上避难而来的人,才感觉到灾害的严重性。我们华侨包括留学生一共有48人遇难。遇难的留学生比较多,因为他们都住在木造公寓中,地震中很多都倒塌了。

经过蔡先生的描述,我们感受到了地震的可怕。灾后重建,充满了重重地困难与挑战。而要达到复兴,更是难上加难。蔡先生通过震灾前后城市的变化,向我们讲述了复兴之路的现状与挑战。

蔡:恢复到地震之前的水平,这样可以算是复兴了吧。从这个角度来评价的话,总体来说复兴了,可是个别地区就很难说了。在神户来说,各个区的情况就完全不一样,特别是长田区,我想是最落后的。像东滩区那一带,也是倒了很多,但是现在高楼大厦已经盖起来了,人口也增加了。神户市来说,东滩区人口增加的最多,比震灾前要多。人口一多的话,带动产业发展,吃穿住行都要消费。东滩区工厂很少,大多都是住宅。长田区则不同,那里是橡皮工厂的聚集地,震灾过后工厂少了很多,生产力随之下降。不仅仅是生产力下降,人口也随之减少,商店街的生意就变差了。

◆トーク2
≪日本語≫
各地域は復興の程度が違い、被災地域の人口は少なくなるのが復興できていない原因となった。私はこれが阪神淡路大震災だけ、復興の道の問題でなく、東日本大震災にも同じ問題が直面していると思う。町の再建だけは新しい居住地に慣れた被災者の人たちが戻るべきではない。この問題の解決について、蔡さんの考え方を聞きましょう。

蔡さん:復興するには人口の増加が必要です。人口が増加したら、消費が多くなり、経済もよくなる。特に長田区、昔は大きな商店街があって、今人口が少なくなったことにより、商店街も小さくなった。いっぱい住宅が建てても、人々が戻って来ないだろう。だから、今たくさんの住宅が空いてるんでしょう。長田区の復興は非常に難しいと思う。でも、ある人がこのように提案した。神戸市役所は今三宮にあり、主な機関が変わらなくても、一部の機関が長田区に移動して、せめて関係者たちが長田区に尋ね、消費者が多くなり、経済もよくなるんでしょう。一般的な団体は利益を考える為に、このようにするのが無理です。神戸市政府のほうが、やりやくいと思います。政府の一部の機関が長田区に移動して、どうなるのでしょうかね。

地域の人口を増加するために、政府の一部の機関は移動されるのがいい方法だと思います。人口が多くなり、経済もよくなり、復興ができるはずです。お忙しいところに蔡さんがインタビューをくれて、誠にありがとうございます。復興は私たち人々の努力を集めて、できるものと思います。最後にこの番組を聴いてくれている皆さんたちに、ありがとうございます。

≪中国語≫
区域之间复兴程度的不同,受灾地区人口的减少成了制约复兴的主要因素。我想这不仅仅是阪神大地震复兴之路的难题,东日本大地震中受灾严重的地区也同样面对这个问题。基础设施的重建并不能吸引适应了新环境的人们重回旧地。对此我们来听一下蔡先生的看法。

蔡:如果说要复兴的话,就要想办法增加人口。人口增加,吃穿住行的需求也随之增长。人口不增长,就很难办了。尤其是长田区,过去有很大的商店街,现在人口减少,商店也随之减少,就算房子盖起来,也只能是空房,这就是一个矛盾。没有盖起来还好,可以缩小面积,但现在盖起来了,又很难吸引人们去住,只能空闲了。所以说长田区的复兴,我看是非常困难的。只不过有的人提议,神户市的市政府现在在三宫,主体不变还在三宫也好,把一部分的机能转移到长田区,至少有关的人会从三宫转移到长田区,人口多了的话,周围的买卖我看会比现在好一点。叫一般的民间团体去不行,他们要吃嘛,不能亏本啊。可是政府来说,后顾之忧会相对比较少,把政府的一部分机能转移到长田去,看看会怎么样呢?

通过政府工作地中心的转移来推动地域性人口的增加,这不失为一个可行性很高的方案。人口的增多,人气的提高,必将推动一个地区经济的发展。感谢蔡先生在百忙之中接受采访,并为我们讲述了这么多独特的见解。复兴不是一朝一夕可以完成的,这更需要我们每个人的共同努力。最后在此祝大家春节快乐,感谢您的收听,谢谢,再见。
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2/10 第6回 担当:藤田紗矢香 取材相手:米山正幸さん「震災時に活躍した淡路島の地域コミュニティは今」

◆トーク1
淡路島の野島断層保存館の副館長をされている米山正幸さんに、まずは「震災当時のお話」をお聞きしました。震災当時、淡路島では地域コミュニティがきちんと作られていたおかげで、住民全員が協力して救助活動を行い、多くの人を助け出すことができました。
住民同士、誰がどの部屋で寝ているかということまで知っていました。そのおかげで、約300人もの生き埋めになった人を当日のお昼すぎには全員助けることができました。また、夕方の5時過ぎには行方不明者ゼロということを発表できたのです。

◆トーク2
次に、「淡路島の街の復興状況」、「震災に対する備え」についてお聞きしました。20年経った現在、街は整備され、災害に強い街になっても、震災時に活躍した地域コミュニティは元通りには戻っていないとのことでした。街を復興させるための区画整備事業により、地域コミュニティは薄れていってしまったのです。米山さんからは、そのことに対する悔しさ、どうすればよかったのかという思いをお聞きしました。また、野島断層保存館で勤務しているということを活かして、震災の備えとして大事なことをお聞きしました。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 17:06| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

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