2015年02月12日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第6回

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2/10 第6回 担当:郝貝易 取材相手:蔡勝昌さん 「震災前後の被災地を比較し、これからの道を見つめよう」

◆トーク1
≪日本語≫
皆さん、こんにちは。私は関西学院大学総合政策学部メディア情報学科山中ゼミの留学生、郝貝易です。あと1週間は旧暦の正月ですから、皆さん、あけましておめでとうございます。
1995年1月17日午前5時46分、大きな地震が発生しました。この阪神淡路大震災は6434人の命を奪われ、43000以上の人が怪我をしたという大きな被害を持たれました。震災後には、町を再建し、町の復興を目指して、人々が努力をしてきました。今年は阪神淡路大震災から20年の時点で、被災地の復興ができたのか。私は阪神淡路大震災を経験した蔡勝昌さんにインタビューをしました。蔡さんは町の復興について、たくさんの経験や考え方を深く述べました。蔡さんは現在一般社団法人、中華会館の理事長ですが、震災の時には、彼は留学生学校の先生でした。それでは、まず震災直後の状況から聞きましょう。

蔡さん:私の家は山の近くのところでしたが、家から下に見ると、たくさんの部屋が倒れました。でも、こんなに大きな被害と思わなかった。学校に行く途中で、もっと町の被害の様子を見て、そして学校にはたくさんの市民たちが避難のために集ってきた。そのときには、被害の大きさが認識しました。留学生を含めて、中国人は合計48人が亡くなりました。たくさんの留学生が木造のアパートに住んでいたが、地震のときにアパートが倒れ、命を失った。

蔡さんの話を聞いて、地震の怖さを感じました。町の再建にはたくさんの困難があり、復興するのも簡単にできることではありません。蔡さんは震災前後の町の変化について、復興の道の現状と挑戦を述べました。

蔡さん:震災前のときの水準に戻るのが、復興とは言えるのでしょうかね。このような考え方で判断すると、全体的に見ると、復興とはいえると思います。しかし、各地域の状況を見ると、復興とは言えないかも知れない。神戸市には、各地域が違い、特に長田区には、復興の程度が一番遅れると思います。たとえば、東灘区には、震災のときにもたくさんの家が倒れたが、今高層マンションがいっぱい建てて、人口も増えた。震災の前より、人口が多い。人口が増えたら、経済もよくなった。そして、東灘区には工場が少なく、ほとんど住宅地でした。しかし、長田区のほうが違い、昔はゴム工場がいっぱいあったが、震災後には工場が少なくなり、生産力も落ちた。生産力だけでなく、人口が少なくなり、商店街も少なくなった。

≪中国語≫
大家中午好,我是关西学院大学综合政策学部山中速人教授研究组的留学生,我的名字叫郝贝易。再过几天就是新春佳节了,我在这里给大家拜个早年,祝大家在新的一年里身体健康,万事如意。
1995年1月17日凌晨5点46分,一场突如其来的灾难发生了。这场夺去了6434人生命,使43000余人受伤的大地震被命名为了阪神淡路大地震。灾难过后,首要的任务便是安置与重建,而后便是复兴。到今年为止,灾难已经过去了整整20个年头,复兴之路究竟进行得如何呢?为此,我有幸采访了经历了阪神大地震的蔡胜昌先生。围绕复兴这个主题,蔡先生讲出了很多独特的个人见解,很值得我们思考。蔡先生现在是一般社团法人中华会馆的理事长,地震发生之时,他在一所华侨学校就任教师。先来听他介绍一下地震之后的情况吧。

蔡:我家是在靠山上的地方,从我家往下看,有许多的房子歪了。刚开始并没有感觉到灾害有这么严重。但是在去学校的路上就看到了灾情,到了学校后看到操场上避难而来的人,才感觉到灾害的严重性。我们华侨包括留学生一共有48人遇难。遇难的留学生比较多,因为他们都住在木造公寓中,地震中很多都倒塌了。

经过蔡先生的描述,我们感受到了地震的可怕。灾后重建,充满了重重地困难与挑战。而要达到复兴,更是难上加难。蔡先生通过震灾前后城市的变化,向我们讲述了复兴之路的现状与挑战。

蔡:恢复到地震之前的水平,这样可以算是复兴了吧。从这个角度来评价的话,总体来说复兴了,可是个别地区就很难说了。在神户来说,各个区的情况就完全不一样,特别是长田区,我想是最落后的。像东滩区那一带,也是倒了很多,但是现在高楼大厦已经盖起来了,人口也增加了。神户市来说,东滩区人口增加的最多,比震灾前要多。人口一多的话,带动产业发展,吃穿住行都要消费。东滩区工厂很少,大多都是住宅。长田区则不同,那里是橡皮工厂的聚集地,震灾过后工厂少了很多,生产力随之下降。不仅仅是生产力下降,人口也随之减少,商店街的生意就变差了。

◆トーク2
≪日本語≫
各地域は復興の程度が違い、被災地域の人口は少なくなるのが復興できていない原因となった。私はこれが阪神淡路大震災だけ、復興の道の問題でなく、東日本大震災にも同じ問題が直面していると思う。町の再建だけは新しい居住地に慣れた被災者の人たちが戻るべきではない。この問題の解決について、蔡さんの考え方を聞きましょう。

蔡さん:復興するには人口の増加が必要です。人口が増加したら、消費が多くなり、経済もよくなる。特に長田区、昔は大きな商店街があって、今人口が少なくなったことにより、商店街も小さくなった。いっぱい住宅が建てても、人々が戻って来ないだろう。だから、今たくさんの住宅が空いてるんでしょう。長田区の復興は非常に難しいと思う。でも、ある人がこのように提案した。神戸市役所は今三宮にあり、主な機関が変わらなくても、一部の機関が長田区に移動して、せめて関係者たちが長田区に尋ね、消費者が多くなり、経済もよくなるんでしょう。一般的な団体は利益を考える為に、このようにするのが無理です。神戸市政府のほうが、やりやくいと思います。政府の一部の機関が長田区に移動して、どうなるのでしょうかね。

地域の人口を増加するために、政府の一部の機関は移動されるのがいい方法だと思います。人口が多くなり、経済もよくなり、復興ができるはずです。お忙しいところに蔡さんがインタビューをくれて、誠にありがとうございます。復興は私たち人々の努力を集めて、できるものと思います。最後にこの番組を聴いてくれている皆さんたちに、ありがとうございます。

≪中国語≫
区域之间复兴程度的不同,受灾地区人口的减少成了制约复兴的主要因素。我想这不仅仅是阪神大地震复兴之路的难题,东日本大地震中受灾严重的地区也同样面对这个问题。基础设施的重建并不能吸引适应了新环境的人们重回旧地。对此我们来听一下蔡先生的看法。

蔡:如果说要复兴的话,就要想办法增加人口。人口增加,吃穿住行的需求也随之增长。人口不增长,就很难办了。尤其是长田区,过去有很大的商店街,现在人口减少,商店也随之减少,就算房子盖起来,也只能是空房,这就是一个矛盾。没有盖起来还好,可以缩小面积,但现在盖起来了,又很难吸引人们去住,只能空闲了。所以说长田区的复兴,我看是非常困难的。只不过有的人提议,神户市的市政府现在在三宫,主体不变还在三宫也好,把一部分的机能转移到长田区,至少有关的人会从三宫转移到长田区,人口多了的话,周围的买卖我看会比现在好一点。叫一般的民间团体去不行,他们要吃嘛,不能亏本啊。可是政府来说,后顾之忧会相对比较少,把政府的一部分机能转移到长田去,看看会怎么样呢?

通过政府工作地中心的转移来推动地域性人口的增加,这不失为一个可行性很高的方案。人口的增多,人气的提高,必将推动一个地区经济的发展。感谢蔡先生在百忙之中接受采访,并为我们讲述了这么多独特的见解。复兴不是一朝一夕可以完成的,这更需要我们每个人的共同努力。最后在此祝大家春节快乐,感谢您的收听,谢谢,再见。
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2/10 第6回 担当:藤田紗矢香 取材相手:米山正幸さん「震災時に活躍した淡路島の地域コミュニティは今」

◆トーク1
淡路島の野島断層保存館の副館長をされている米山正幸さんに、まずは「震災当時のお話」をお聞きしました。震災当時、淡路島では地域コミュニティがきちんと作られていたおかげで、住民全員が協力して救助活動を行い、多くの人を助け出すことができました。
住民同士、誰がどの部屋で寝ているかということまで知っていました。そのおかげで、約300人もの生き埋めになった人を当日のお昼すぎには全員助けることができました。また、夕方の5時過ぎには行方不明者ゼロということを発表できたのです。

◆トーク2
次に、「淡路島の街の復興状況」、「震災に対する備え」についてお聞きしました。20年経った現在、街は整備され、災害に強い街になっても、震災時に活躍した地域コミュニティは元通りには戻っていないとのことでした。街を復興させるための区画整備事業により、地域コミュニティは薄れていってしまったのです。米山さんからは、そのことに対する悔しさ、どうすればよかったのかという思いをお聞きしました。また、野島断層保存館で勤務しているということを活かして、震災の備えとして大事なことをお聞きしました。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 17:06| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第5回

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第5回 2/3 写真左 半田俊彦 右奥井啓太
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担当:半田俊彦 取材相手:觜本郁さん 「震災支援に終わりはない」~公務員の経験から伝える私達がすべきこと~

◆トーク1
阪神淡路大震災の復興には終わりというものはありません。外見上の復興は成し遂げたかもしれないが、阪神淡路大震災の被害者たちにとっては、いまだ精神的復興の目途はたっていない。震災当時心の復興に努めた公務員の觜本郁さんにインタビューを行いました。震災当時は神戸市西区役所で勤務していた、現在61歳の方です。
遺体安置所という出来事を経た觜本さんの震災に対する行政の取り組みは、
市民の想いを最優先に考え、動き続けることだとおっしゃっていました。
インタビュー中にも一貫して市民の想いを最優先に考えている觜本さんの想いが伝わってきました。

◆トーク2
私たちは震災当時の状況を知るという機会があまりにも少ない。その情報を得るためには、觜本さんのような語り部からお話をお聞きするべきだと考えました。みなさんもこの20年という節目を機に、阪神淡路大震災当時の出来事知った上で、そこから彼らのとった行動のなにが最善であったのかを知らなければならない。「もっとも重要なことは何か」ということを明確にして、自らが主体的に行動するための準備期間を大事にしてほしい。私達震災を知らない世代には時間は膨大に用意されているのだから。阪神淡路大震災20周年の節目は觜本さん、そして私にとっても自らを思い返す契機となりました。現在は公務員を退職し、ホームレスなどの生活に困窮している人に対して支援を行う神戸の冬を支える会のスタッフとして活動をしており、市民の想いを最優先に考える觜本さんの考えは震災後20年を経ても持ち続けています。
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担当:奥井啓太 取材相手:伊藤正彦さん 「消防団員はボランティアせはない」

◆トーク1
インタビューしたのは灘の消防団長を務める伊藤眞彦さん。今年で71歳になる。震災直後、消防団員として活動を開始した彼に、次々と問題が押しかかる。そんな状況の中で、彼は自分の思う最善を尽くし戦う。

◆トーク2
伊藤さん以前の団長は、消防団はボランティア団体だと語っていた。しかし、伊藤さんは、消防団を特別職の公務員として考えていると語る。市民を自分の手で守ることが、仕事をしつつ消防団に入っている自分に与えられたもう一つの使命であるという。

◆トーク3
団長として、伊藤さん個人として、消防団員には使命を全うしてほしいと伊藤さんは語る。そのために訓練を厳しく行い、変化を重視してきた。そんな彼らの様に、地震を忘れず、伝え続け、人々の期待に応えることも復興であろう。この思いの灯が産まれ来る子どもたちを照らし続けることを願う。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 16:27| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

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