2015年03月31日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第12回

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3月24日放送担当:荒木せりか(左)劉慧美(右)

担当:荒木せりか 取材相手:鹿島節子さん「被災した留学生のための奨学金」
◆トーク1.「被災した留学生を支援したい!」
兵庫県芦屋市にお住まいの鹿島節子さんにインタビュー。鹿島さんは20年前、NPO職員として、神戸学生青年センターという地域の人だけでなく、神戸の留学生も利用する民間施設で勤務していた。施設で開かれるイベントの手伝いを留学生も手伝っていたことがあり、鹿島さんと留学生たちは普段からつながりがあった。1995年1月17日阪神淡路大震災が神戸を襲った。震災では鹿嶋さんの身の回りでは大きな被害を幸いにも受けることはなかったが、当時日本にいた留学生たちも被災したのだが、彼らはもとより経済的に裕福ではない生活をしていたため、安いマンションに住んでいたこともあり、家が崩壊し、アルバイト先も地震でなくなり、家族と遠く離れて暮らしていることから、様々な不安が留学生たちを襲った。身近にいた留学生の困難を少しでも救うべく、鹿嶋さんたちは全国の大学や団体に広報やFAXで募金を呼びかけて、留学生に義援金を給付して被災した留学生の生活を支援する。驚くことに、鹿嶋さんたちが思っていた以上に義援金が神戸に届き...

◆トーク2.「支援は形を変えて続いていく」
震災から時が経ち、留学生が元の生活を送れるようになってからも、全国各地から鹿嶋さんたちのところに義援金が届いた。せっかく届いた義援金をどのように使うか...
兵庫県内にいる留学生たちは、将来日本とアジアの懸け橋として働いてくれる鍵を握っている人なので、そんな彼らがもっと勉強に尽力できるように「六甲奨学基金」として、彼らに給付しようという方針になる。しかし、持続的に奨学金を給付するためには、もっと資金が必要だ。そこで神戸学生青年センターで毎年春に「六甲古本市」という古本市の売上を奨学金に充てる取り組みが1996年から始まる。この古本市は阪神間ではとても有名なイベントで全国から本が取り寄せられる。本を古本市に寄付するのはボランティアだ。震災当時から続いている支援は、このような形に変わり続いている。今も日本で学ぶ留学生たちが夢を掴むことを応援している必要不可欠なものであることは変わらない。


担当:劉慧美 取材相手:張智仁さん 「阪神大震災からの心の変化」
◆トーク1
皆さん、こんにちは、私は関西学院大学総合政策メディア学科の三回生の劉慧美と申します。今日、私から、阪神大震災についての事情を放送させていただきます。

1995年1月17日5時46分に日本で、大地震が発生しました。阪神大震災です。この地震で、43792人が傷がつき、三人が行方不明で、また、6434人がこの地震で命を失いました。幸いことに、私はこの地震に経験した張智仁さんに拝見し、地震についてのことを伺いました。地震が起こった時に、張さんは26歳で、神戸市中央区山本通に住んでいます。この地震後、張さんの考えや人生の価値観が変わってきました。地震の復興は単なる家や道を建てることではなくて、人の心の再建もできました。では、張さんの経験や変化など聞いて見ましょう。

まず、私は張さんに地震が起こった時の状況を聞きました。この話を聞いてないところに、私は思った地震が揺れるだけだと思いましたが。この話を聞いて、単なる揺れるではなくて、空に稲妻みたいな光も光ることに驚きました。怖い光とすごい揺れが地震にあったことがない人にして、この怖さが想像できないでしょう。

(私:地震が起こったときに、何をしていたの
張:とても早い時間なので、ペットの上に寝ているんだ。
私:じゃ、どうやって地震が起こったと分かってたのか。
張:地震がとても大きいなので、私をペットから落とされたんだ。そして、私は窓を開けて、空に稲妻みたいな光が光ることが見られた。大阪でもその光が見られるそうだ。
私:そうか…ところで、地震が起こるときに揺れるよね、そのときに何を考えていたのか。
張:私は一階に住んでいて、上また十階もあるので、もしビルが倒れるなら、私を埋められるかなあと思ったんで、とても心配だった…)

続いて、私は道と外の状態を聞きました。張さんはとても幸運で、自分住んでいるマンションは余り壊れられなかったが。その周りのマンションが破壊された状況は非常にひどかったと分かりました。

(私:そのときにどうやって、外に出たのか
張:ドアが開けられるので、あけて、すぐ外に出た。
私:外に出て、どんな状態だと張さんが見たのか。
張:周りに、火事が起こったんだ。そして、私たちは消火をしにいかなきゃ。
私:じゃ、道路の状態は?
張:道路は全部裂けられて、水道管も裂けられたんだ。だから、地面に水がいっぱい溢れたんだ。ひどい状況だった…)

そして、私は避難のことについて、張さんに聞きました。避難所にたくさんの人が集まりました。しかも、地震でなくなった人もここに引っ越されたと分かりました。自然災害のせいで、なくなったなんで、とても辛がっていることだと当時の人々がこの状況を見て、思ったことでしょう。

(私:避難所の場所が分かったのか。
張:はい、家の近くに小学校があって、これは避難所だから、ここに行った。
私:避難所の状況はどうだった。
張:たくさんの人が避難所に集まった。そして、隣にひどい状況の避難所があった。地震でなくなった人もあそこに引っ越された。だいたい400人だった。
私:どうして、避難所に引っ越されたのか
張:生きている人がいるかもしれないので、先生が確認するために…
私:いわゆると、非難しに来た人たちと地震で命を落とした人々と一緒に、避難所にいたよね。地震で命を落とした人々の姿を見ると、絶対非常に悲しいだろう。
張:そうだよ、悲しかったわ…)

◆トーク2
この地震を通って、張さんの考えは前と変わってきたと言いました。では、どんな変化がありましたのか。一緒に聞きましょう。

(私:この地震を通じて、張さんの心はどんな変化があったか。
張:そうだね。地震が発生しなかった前に、災害なんか関心が全然なかったものだが。地震が発生したことにつれて、自分と関係がない災害でも、自分のことであるものだと変わってきた。
私:じゃ、もし他のところに地震や災害が起こったら、手伝いとかするの。
張:そうだね。例えば、3月11日に発生した東日本大震災や中国の四川震災や、台湾の地震も、全部手伝いに行った。
私:昔、助けてもらったことがあるので、今は自分が他の人を助けるようになったと張さんの変化だよね。
張:そうだね…)

それに、私は張さんに再建のことについて聞きました。この地震で、たくさんの人の家がなくなりました。自分の家を再建することがそんなに簡単ではありません。また、たくさんの人に非常に重い負担が招きました。

 (私:地震の後に、いつから再建したのか。
張:まず、水道管やガスや電気などを直してくれた。
私:じゃ、いつからのか。
張:電気は一ヶ月のあとに、水道管は二ヶ月のあとに、また、ガスは三ヶ月のあとに直して続いたのだ。
私:つまり、まずは電気で、続いては水道管で、最後はガスだよね。では、家の再建は?
張:まず、埋められた人を全部探して、出した後に、家を再建した。
私:家を再建するのは自分のお金だった?
張:そうだね。ここで、問題があるよ。地震のちょっと前に家を建った人がいる。その時の家のローンと地震の後の家を再建したローンが加算することになってしまった。負担が非常に重くなった。
私:じゃ、お金がなかったら、国の援助とかがある?
張:あるけど、返さなければならない。家を再建することがたくさんの人にとって、辛かったことだ。)

 最後に、私は張さんに地震にあったことがない人々になんを言いたいのかとお願いしました。もし、あなたがちょうど地震にあったことがないなら、この話を聞いて、あなたにとって、役に立ちますか。考えや心が変化できますか。

 (私:張さんは地震にあったことがない人々になんを伝いたいことがある。
張:私たちは、テレビや新聞などから、災害のことが分かることができる。また、家族のこととか健康とか、全部関心を持つようにして、自分のことだと思うようにしてください。後悔の人生を送らないようにしてください…)

今度の張さんの阪神大震災についてのインタビューを通じて、私も様々な感想がありました。災害後の復興は単なる家や道などのような外見の再建ではなくて、人のこころの再建も非常に重要なことであります。張さんの話を聞いてない時に、別の人を手伝うとか関心を持つようにするとか、まったくと思っていませんでした。しかし、今の私は災害がいつでもどこでも起こる可能性があります。いつか私も災害に会うかもしれない。その時に私もたくさんの手伝いをいただくかもしれないため、今からできるだけ多くの人を手伝うようにしようと思うようになって来ました。

 では、以上で関西学院大学総合政策メディア学科の三回生の劉慧美から、張さんの阪神大震災についての放送でございます。聴取していただいて、ありがとうございました。

posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 22:16| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第11回

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担当:妙木彩夏 取材相手:ツェットさん「外国人として経験した震災~人を支え支えられて生きる]

◆トーク1
私は現在たかとりコミュニティーセンターの事務局員である、ベトナム人のツエットさんにお話を伺いました。ツエットさんにインタビューをさせていただいたのは、私が外国籍の方にまで目を向けて災害のことを考えていなかったということに気付いたためです。
ツエットさんは日本語が全く分からない状態で日本に来られました。そのため、日本に来てからどのようにして過ごされたのか、日本語を習得されたのかお話いただきました。なんと小学5年生の時には突然日本人と肩を並べて普通学校に通われていました。
次に、被災当時の体験を語っていただきました。「なんであんたらここおんねん」。ツエットさんは災害時、避難所で日本人から言葉の差別を受けたそうです。しかしツエットさんは前向きにならないといけないという思いで過ごされました。
外国人被災者への差別、その事実を知っている人は多くないと思います。私自身もその事実と内容を知りませんでした。これをきっかけに知ってほしいです。

◆トーク2
震災後から現在も、ツエットさんはボランティアをされています。現在はたかとりコミュニティーセンターで主に事務職、管理、生活相談など、いわゆるなんでも屋として活動されています。また、たかとりコミュニティーセンターでは様々な団体が活動しているため、ツエットさんはその方たちにお昼ごはんを作り、提供もされています。
最後に、復興とは何だと思われるか伺いました。ツエットさんは、その答えを「思いやり」という言葉で語ってくださいました。現在活動されているボランティアはまさに思いやりです。また、活動を通してたくさんの絆と出会いがあり、そして助ける側だけど、逆にエネルギーがもらえると語って下さいました。
私はツエットさんのインタビューを通して、思いやりの心とボランティアの素晴らしさを改めて実感しました。この番組を聞いて、外国人被災者への差別の実態、思いやりの心、ボランティアの意義、これら3つのことを改めて知り、感じていただければと思います。
posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 19:42| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」第10回

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3月10日担当:高田浩臣(左)森岡勇太(右) 
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担当:森岡勇太 取材相手:和田幹司さん 「通過点~カメラが繋いだ現在~」
◆トーク1
今回お話させていただいたのは、和田幹司さん(71)。
和田さんは震災発生の2ヶ月後から約20年間、長田の復興活動に接点を持ち続けられています。現在では、毎年1月17日に新長田駅前で行われる追悼行事の実行委員長も務められています。震災当時、和田さんは一流写真メーカーの役職サラリーマンで、現在の国道2号線の道路上にあったご自宅に住んでおられました。地震発生後、家中の家具は倒れ、家も傾いていましたが、ご夫婦共に怪我はなく、幸い2階で寝ていたご両親も無事でした。和田さんは、東京にいる弟さんから預かっていた家の状態を確かめるために、カメラを持って須磨へと向かいました。そしてその道中、様々な光景を目の当たりにし、持っていたカメラでその光景を写真に収めることにしました。その後、様々な場所で記録としての写真を撮っていた和田さんに、神戸の街の様子を写真で他府県の人たちに伝えよう、という機会が訪れました。はじめは、家や建物が倒壊している写真を撮ろうと考えていた和田さんは、神戸の街を改めて見て回っているときに、ふと自分が撮るべき写真に気づき、長田で力強く生活している人々の存在を確かめるための写真を撮ることにしました。

◆トーク2
和田さんは地震発生の約2ヶ月後に、『すたあと長田』という情報誌の写真係として震災復興活動に参加するようになりました。これが復興活動に携わるようになったきっかけだったと仰っていました。20年間、長田のまちや人が変化していく姿を見続けている和田さんは、ご自分の体験を交えながら、復興についてのお話をしてくださいました。「道路や建物は綺麗になったかもしれないけれど、それぞれの生活の復興はまだまだ終わっていない。だから今も、20周年みたいなくくりなんかではなく、あくまでも21年目という通過点に過ぎない。」と語る和田さん。また、普段の生活している人のそれぞれに、「厚み」や「深み」みたいなものがあるということ、困った時に助けてもらえることへの感謝、そういった人の情や情けも震災が無かったら分かってない部分だと仰っていました。人の気持ちを感じとって、心の深いところで共感したり感謝したりすることがあるということは、もしかしたら震災が無ければ気付かなかったかもしれないということ。復旧や復興以上に、そういったものを見つけることができたことが震災から得たことである、と実感したそうです。

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担当:高田浩臣 取材相手:鈴木迪子さん 「長田に灯った一つの光」
◆トーク1
今回番組を担当しました。関西学院大学総合政策学部メディア情報学科三回生高田浩臣です。
阪神淡路大震災をテーマにした番組です。今回私は阪神淡路大震災のことを詳しく知るために実際に被災された方にインタビューをしました。その方のお名前は鈴木迪子〔すずきみちこ〕さんという現在72歳の女性です。震災当時、鈴木さんは兵庫県神戸市長田区にあるキリスト系カトリック教会の鷹取協会という教会で聴覚障害を持つ人たちに手話を教えるボランティアをしていました。鈴木さんは地震後すぐに心の拠り所のたかとり教会に向かいました。教会はぺしゃんこにつぶれていた。唯一少し離れた場所にある園舎だけがなんとか残っていました。その光景を見て鈴木さんは声もでなくなり、ただただ鷹取教会をみつめていたそうです。その翌日やはり鷹取教会の様子が気になった鈴木さんは鷹取教会に戻ってきました。そして園舎の大丈夫な部屋を片付け始めました。すると大変なことになっていると聞きつけた人たちが鷹取教会にいっぱいのおにぎりを持ってきてくれました。鈴木さんはそのおにぎりを配って回りました。
鈴木さん
そしたら一番心に残ったのは、二つ三つもらったらいいのに「一個でいいです、ほかの人にあげてください」ということを考えてくれる人がいた。普段の生活じゃそうじゃないのにね。ていうことを私は味わった。

◆トーク2
また、被災の少なかった教会がたかとり教会でボランティアしている人たちのために物資の運搬のボランティアをしてくれたそうです。鈴木さんは一番大事なのは被災した人たちの行動ではなく被災していない人たちの行動で、周りの協力がなければ被災者は無力で何もできなかったはずだといいます。また鈴木さんに実際に震災を経験したからこそ思う復興とは何かを質問しました。
日常生活に戻ってくると、また人間の欲がでてきてしまう。安かったらたくさん買うし、裕福になったときのほうが自分を守ろうとする。おにぎりの話だって何もないのに人のことが考えられる。復興してしまったらまたそういった部分を元に戻らないようにしなければならない。一般に言う復興は皆が何不自由なく生活できていくっていうことだと思うがそれだと影に隠れたものが見えなくなっていって復興するときに、弱い立場の人が影に隠れてしまっているから鈴木さんはそれは復興だと思わないが皆はそれを復興やと思うので本当の意味での復興はわからないとおっしゃっていました。
確かに、震災直後のように震災で受けたことを教訓に日々を過ごすことは難しいと思う。ただ日本のどこかには今でも震災の影響を受けて生活がきちんとできてない人がいる、その人のことを知り、何かを考えるだけでもひとつの復興になることは間違いないと鈴木さんは教えてくれました。

posted by 関西学院大学総合政策学部山中速人研究室4 at 19:29| Comment(0) | ポッドキャスト | 更新情報をチェックする

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